稲穂を連想させるアカモクは縁起物
アカモクの学名は「ホンダワラ科アカモク」。“ホンダワラ”の小さな袋(気泡)が藻の葉先にいっぱいついている有様は、“稲穂を連想”させるため「稲穂」に通じます。これをわらしべで一握りほど折って巻き、米俵の形にして、新春のご祝儀とする習わしが古くからあります。
その中でも代表的なものが、“蓬莱飾り“(ほうらいかざり)です。初春の祝いにと三宝の盤に目出たい品を飾るのですが、海藻はその中でも重要な一品となっています。手前にある四重の重箱、その後ろにあるのが、京都では「蓬莱」、江戸では「喰積」と呼ばれ、三宝の中央に真物の松竹梅を置いて、周りに白米を敷き、その上に橙一つ、密柑、橘、榧(かや)、搗栗(かちぐり)、鬼ところ、ホンダワラ、串柿、昆布、伊勢海老などを積み、裏白、ゆずり葉などを置くとあり、現代の鏡餅・御節の料理の源流にあたります。
(出典:風流役者地顔五節句正月之図・一陽斎豊国(初代歌川豊国)画 国立国会図書館所蔵)
千数百年以上にわたって出雲大社を守ってきた出雲の国造家では、力祝(杵でこねた程度の餅)にホンダワラを巻き上げます。歳徳神の馬に献ずるという意味で、神馬藻(ホンダワラ・アカモク)を用います。小笠原流家元が、年賀のお客に献ずる前菜は、三宝にホンダワラ又は布を敷き、その上に梅干、田作、干柿、勝栗等をのせた蓬莱盤です。静岡県の伊豆地方など太平洋のアマのイ住居地帯には〆縄に橙、ホンダワラを付けて飾る所が多く見受けられます。現在の東京でも、門飾りにホンダワラを〆縄に使っているのを見ることができます。
江戸時代初期にかけて全国各地で特産とされていた海藻を一覧できる書物に「毛吹草」(寛永15年、1638年)があります。その中で紹介されたホンダワラは、和泉神馬藻(大阪)・「石津神馬藻」です。その当時は和泉(大阪)の特産品とされていました。
また、「疲れきった馬に海水と海藻あかもくを食べさせた。次の朝には元気になっていた」という神馬の由来にもなっています。
加賀百万石の石川県・富山県では、『藻を刈る』=『儲かる』にかけて縁起物としており、江戸・明治時代に関西方面で流行した恵比寿様と大黒様の藻を刈る縁起巻物図にも見ることができます。